パーマの話。
前のエントリで戦争によって、”パーマネントはやめましょう”の標語とともにパーマヘアが禁止され、外来語禁止のため電髪におきかわったところまでいきました。
さて続きに参りましょう。
敗戦後、禁止されていたアメリカ文化は一気に日本を侵食していき、当時、機器の多くは戦時中に軍需用に再利用されるため供出され、空襲で焼かれ薬品等もあまりなく、そしてきわめつけは電力不足で停電している時間の方が長く、食べていくだけでも大変な時代でしたが女性はこぞってパーマをかけました。
昭和30年頃、公務員の初任給が3000円の時代、女性は400円以上を払ってパーマヘアにしていました。バイタリティー溢れますね。
この時の電髪はチリチリパーマで、最低でも半年はもたせたいというのが気分だったようです。
時を同じくしてコールドパーマ液が日本にも入ってきます。これは電髪のような大掛かりな機器をつかわず、液だけで髪の毛を反応させてかけるパーマ液で、今のパーマ液のことです。
電髪に比べゆるくソフトなパーマでしたが、電気の熱い熱やコードなどに束縛される大変さより簡単にパーマがあたるコールドパーマが好まれるのは時代の流れでした。
そうして、今に至るというわけです。
基本的な工程としてはほとんど変わりません。1剤で毛髪を還元して元のクセを取り、2剤で酸化し新しいクセを固定する。
長い長いパーマの歴史でした。
最後ちょっとはしょりすぎたけど。。笑