パーマの歴史について調べてみた。その2

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前のエントリで現在のパーマネントウェーブの原点となったネッスルウェーブの登場までお話ししました。 

なんかどっかで見たような光景じゃないですか?

そう今のデジタルパーマみたいでしょう?デジタルパーマは温度の管理をデジタル管理できるのに対して、このネッスルウェーブは温度管理なんてできません。そうとう高温になっていたんじゃないでしょうか?

実際、最初の実験でネッスルは妻にこのネッスルウェーブを試したところ髪が全部燃えてしまったそうです。えらいこっちゃ。

  

Wikipediaより

写真をみるとなかなかエキセントリックですが、棒が頭から放射状に伸びています。1930年頃になると棒芯にスパイラル(螺旋状)に巻きつけ、シャンデリアと呼ばれる上のサークルからコードをたらしてつないで熱していました。頭にかかる重さもそうとう軽減されましたが、7.8キロあったそうで!当時同じような機械をいろんな人が試行錯誤して作るとともに、熱を使わない薬剤の開発が進んでいたそうです。

この頃はパーマ液の中身は亜硫酸水素ナトリウムという食品の保存料や漂白をするときに使用する、刺激の比較的少ないものが使われ、もともと100℃だった温度も4・50℃でかかるようになりました。ただ全行程は依然6時間ほどかかっていたそうなので、髪の毛のダメージは相当なものだったんでしょう。

しかし中流階級の女性は週に1度、美容室にセットに行きそれをキープしていたので、3ヶ月に1度の長時間とダメージはへっちゃらだったようです。そんなことよりもパーマスタイルの革新性や話題性がぶっちぎっていたんでしょう。無理してオシャレするのはいつの時代も変わらないんですね。

ときを同じくして、日本にもネッスルウェーブが入ってきます。大正12年(1923年)神戸の紺谷さんがアメリカから輸入したというのと、横浜に初めて入ったという2つの説があるそうです。

当時大正デモクラシーで女性の洋服や洋髪が流行り、昭和に入ってパーマは爆発的人気となります。

実際営業に取り入れられたのは昭和5年ごろで、昭和10年(1935年)アメリカの影響で大流行しました。当初20円で始まったパーマが5年には5円程にまでなり、普及のスピードの速さを物語っています。

しかしその後すぐに戦争が始まり、“贅沢は敵”などの標語とともに”パーマネントはやめましょう”という標語もあらわれ、パーマは禁止されてしまいます。そして、外来語禁止の時代になりパーマは”電髪”となりました。

結構長くなったので、まだ続きます。(´Д` )

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